−建勲神社ー
建勲神社
本殿
船岡山山頂にある神社で正しくは「たけいさおじんじゃ」と呼びます。織田信長・信忠の父子を祀っています。

明治8年、船岡山東麓(豊臣秀吉が信長の菩提を弔うために計画した天正寺の寺地)に社地を賜り、明治13年に東京より遷座、明治43年に社殿を造営して山頂に移転しました。

約100段程ある階段をのぼると社殿があらわれます。

100段程の階段をのぼるとこの景色に出合う
境内拝観自由
−船岡山ー
船岡山山頂

山頂からの眺め

山の形が船を伏せたような形に似ていることから船岡山と呼ばれています。北区にある孤立丘陵で標高は約112m程です。

平安京正中線の北延長上に位置し、平安京の四神の玄武に擬され、平安京造営の基準点にされました。

平安時代には景勝・遊行の地となり、清少納言の「枕草子」で「丘は船岡・・・」と讃え、又大宮人が多くの和歌を残しています。

  船岡の若菜つみつつ君がため 

    子の日の松の千代をおくらむ (清原元輔)

その後は葬送地となり「平家物語」や「徒然草」にも記されています。

現在は公園として整備され、国の史跡に指定されています。

このあたりに桓武天皇が立ち平安京を見渡したと思うとドキドキします
−大徳寺ー
大徳寺

三門

臨済宗大徳寺派の大本山。広大な境内には22の塔頭を擁し、枯山水の庭園や茶室、ふすま絵など多数の文化財を所蔵しています。

洛北随一の禅の巨刹で茶の湯との関係も大変深い。

1319年に花園上皇と後醍醐天皇の庇護を受けた大燈国師が創建し、京都五山の上位に列せられました。

足利時代になり、五山から除かれ応仁の乱で焼失してしまいます。その後一休禅師が住職になると堺の豪商の援助を得て再興しました。千利休ら堺の茶人や茶の湯好きの大名などが帰依し、次々に塔頭が建立され大いに隆盛しました。

1582年豊臣秀吉が織田信長の葬儀を盛大に挙行し、その菩提寺として総見院を建立しました。千利休が三門の上層部を完成させ、ここに自分の木造を安置し秀吉の逆鱗に触れ切腹させられたという話もあります。

境内拝観自由
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